本当の偽善者とはどんな人のことを言うのか。偽善者だったとしても人の役に立てばそれは善者になる


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偽善者の何が悪いのでしょうか。

偽善者を悪者だという人もいるでしょう。

偽善者のことを良い人の仮面を被った悪人だという人もいるでしょう。

しかし、偽善者と呼ばれている人はそれがうわべだけだとしてもそれでも良いことをしているのには変わりはありません。

なぜ良いことをしているのに、悪いことをしているように言われなければならないのでしょうか。

今回はそんな偽善者について私なりの考え方を伝えたいと思います。

目次

偽善者は悪人ではなく、良い行いをしている人である

どんなに偽善だとしても、それでもやらないでただ見てるだけよりも遥かに良いことをしているのではないでしょうか。

腹の中でどんなことを思っていようと、やらないでいるよりも良いことをしていて、それを喜んでくれる人が一人でもいるのならそれで良いのではないでしょうか。

偽善者は悪人ではありません。

ただ良い行いをしている人なのです。

心の中で何を考えているかで善者か偽善者が決まるわけではない

偽善とは一体どういうことを偽善というのでしょうか。

心の中で悪いことを考えていたり、企んでいたとしたらどんなに良いことをしてもそれは偽善者なのでしょうか。

そもそも良いことをするのに無意識でなんでも出来るのでしょうか。

良いことをするには、人の気持ちを考えて、相手の立場に立って、相手がしてほしいことを考えることが出来るから人に為になることをすることが出来ることです。

それは人の役に立とうと考えているわけですから良い人になるのではないでしょうか。

それだけあれこれ考えながら人に良いことをしようとするのだから、それは善者でしょう。

そんな人を偽善者と呼んでしまったら良いことをした時点で全ての人が偽善者ということになってしまうでしょう。

そんなことはないはずです。

良い行いをした人であればそれは良き人なのです。

もし、何かを企みながら良いことをする人が偽善者というのなら偽善者の何が悪いというのだろうか。

たとえ偽善者だったとしても良い行いをしていることには変わりはありません。

それなら別に偽善者でも良いと私は思います。

どんなことを考えていても良いのではないでしょうか。

何を言ったってみんな結局自分のために行動しています。

どんなに人の役に立って人助けがしたいという思いがあってもそれは、

「自分がよく見られたい」

「人助けをして喜んでいる姿を見たい」

「助けた人にありがとうと言われたい」

どんな理由だとしても、どんなに聞こえがいい理由だとしても、それは全て自分が満足するためにやっている行動には変わりはありません。

自分のために企んで考えてやっているのだから、結局はみんな偽善者ということになってしまいます。

どんなことを考えていたとしても、

「良い行いをするのか悪い行いをするのか」

「それともやらないのか」

という現実しか分かりませんし、存在しないのです。

それなら自分が良かれと思う行動なら偽善者だろうが、何かを企んでいる行動でも良いではないでしょうか。

本当の偽善者は結果的に人を不幸にする人のことを言う

本当の偽善者というのは、良い行ないをしてもしなくても最終的に人を騙すために行なっている人のことを偽善者と言えるでしょう。

実際それは最後まで分からないので定義する意味はないと思います。

なぜなら、

最初は人を騙すつもりでよく思われたくて行なっていたとしても、最終的に騙さないで終わったとしたらそれは偽善者ではなく善き人です。

人を不幸にしていないのなら、その優しさを受けた人からすれば善き人なのです。

偽善者と善者というのは結果論でしかないでしょう。

全く何も悪いことを企んでいなかったとしても、受け取った人に不幸が訪れたとしたら偽善者と言われてしまうこともあります。

悪魔だと言われることもあるでしょう。

そうなると何が正しいのか分からなくなってしまいます。

だからこそ何を考えているかよりも、他人は結果的にどうなったのかの方が大切なことなのです。

あとがき

どんなに偽善者と言われても、思われたとしても、自分が良いと思う行動で誰かのためになるならやったほうが良いでしょう。

周りの偽善者だという人は、その行為をやっている人が羨ましいのです。

自分には出来ないから人を見下したり、罵声を浴びせて引っ張ろうとしているだけなのです。

誰かのためになるならやったほうが良いでしょう。

行動でしか自分の思いは伝わらないし表せないのですから。

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