私はこの世界のバランスを求めて、この世の不条理を受け入れようとしていた

私は今までずっとこの世界のバランスと仕組みについて考えてきた。

いかに正しく生きるのかを考えてきた。

そんなものはないと分かっていながらもずっと最高のバランスを求めて生きてきた。

バランスを求めることはとても正しいことで、最高のバランスを手に入れることで誰もが幸せな世界を作れると思い込んでいた。

しかし私は間違っていたんだ。

そうやってバランスを求めることで、

この世の不条理を受け入れようとしていたんだ。

この世の悪を肯定し、それを受け入れることで自分自身を納得させようとしていたんだ。

「世の中はそう言うものだから仕方ない」

「悪があるのは必要なことだ」

「悪が美味しい思いをするのは結果をひたすら求めた結果なのだから仕方のないことだ」

そう思っていた。

だけどそれは違うと悟った。

自分が悪いと思うことを受け入れる事が正しい行いであるかと問われたらそれは違うだろう。

もちろん受け入れる事で苦痛や悩みは消えることはある。

私はそうやって受け入れる事で色々な事を乗り越えてきた。

確かにそれによって苦痛はかなり少なくなった。

しかしそれによって本当の幸せを手に入れたのか。

そう問われたら「ノー」だ。

昔の自分よりは本当に幸せに近づいた。

だけど根本的な解決であるかと言われると違う。

自分自身は良くなったかも知れないけれど、

それによって周りの人が幸せになっただろうか。

この考え方を広めていけば、全ての人が幸せになるだろうか。

そう言われたら、全ての人が幸せになる考えではないだろう。

やってみなければ分からないけれど、人それぞれ価値観もあって生まれた場所も時代も違うのだから全ての人が幸せになるかと言うとそれは出来ない。

じゃあどうすれば良いのか。

それは世の中の考え方、世間の考え方、常識を変えることだ。

人間は集団意識があり、世の中は多数決で決まる。

多数=一般的な意見

という形が出来上がっている。

だから一般的な意見であり、世の中のルールみたいなものを正しく理解して、バランスを求めれば幸せになれると思っていたがそうではない。

ルールはすぐに変わる。

多数だった意見が少数意見に変わった時に常識というものが変わる。

常識は変わるということ。

それなら今ある常識ばかりにとらわれる必要はあるのだろうか。

私は郷に入れば郷に従えと思っているし、今でもそう思う。

しかしその郷は変わる。

もし今の世の中に不満があるのなら、その郷を変えれば良い。

もちろん簡単な事ではないし世の中を変えるのは一人の力ではかなり厳しい。

しかし自分の身近な世界なら変えられるかも知れない。

常識だと思っていることも変えていく事が出来るかも知れない。

私はその常識(ルール)の中で最善を尽くす事が正義だと思っていた。

それは無意識にそうなっていた。

だけどこれからはそのルールの外側にも目を向けようと思う。

あえて今のルールの中で正解を探す必要はない。

ルールの外側に答えがあるかも知れない。

常識で物事を考えるのはやめようと思う。

不条理がある事を知っているにも関わらず、それをただただ受け入れることはやめる。

これからも私は更に良い世界を探していこうと思う。

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