人格者である必要はない。

人格者である必要はない。

 

何故なら自分の大切なものを守ることが出来ればそれで良いのだから。

 

どんなに完璧な人格者であっても、自分の大切なものを守れないのならそれが果たして正しい事で自分自身が幸せなのかどうかが分からなくなってしまう。

 

すごい能力も必要ない。

 

それが自分の大切なものを守るために必要ないのなら。

 

どんなに素晴らしい能力を持っていたとしても、自分の大切なものを守れないようではそれは自分にとって必要ないものだ。

 

人格者であるほうが良いことはもちろんたくさんある。

 

知識があってたくさんの経験があれば、失敗は少なくて済むだろう。

 

そして他人からはすごい人だと思われるだろう。

 

だけどそんな他人から凄い人だと思われることに本当に価値があるのかと言われるとそれは分からない。

 

その結果、自分が納得した生き方が出来ていないのなら意味がない。

 

人格者である必要はない。

 

本当に自分が大切だと思うものが守れるのなら人格者である必要は全くない。

 

それから他人に迷惑がかかるようなことを故意的にやらなければ、そこまで大きな問題は起こらない。

 

もちろん人格者でないよりは人格者であった方が良い。

 

それは否定しようのないこと。

 

だけどその結果、自分の大切なものを守れないのであれば人格者である必要はない。

 

なんでそんなに大切なものを守ることが大切なのかというと、大切なものを持つということはそれが自分の生きる意味になるから。

 

自分の生きる意味、自分の存在価値が守れないのなら人格者であっても辛いだけ。

 

感情的でもいいし、

自己中だっていい。

 

我慢が出来ない性格でもいいんじゃないかな。

 

その結果、自分の生きる意味があり、自分と自分の大切なものを守って生きていけるのならそれでいい。

 

それは人格者として生きることよりもはるかに大切なことだから。

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