人生哲学

常識を疑おう。当たり前のことを当たり前にやることが正しいわけじゃない。

「こんなことは当たり前だろう」

「こんな当たり前のことをなんで出来ないんだ」

「こんなことは常識だろう」

「なんでこんなこともわからないんだ」

「ちょっと考えればわかるだろう」

こういう風に言われることもあるでしょう。

そんなの常識だろうと言われても、「常識」というのはその人の常識であって、本当にみんなの常識なのかというとそんなことはないでしょう。

もしくはその業界ではその人の周りからすれば常識かも知れませんが、それが全ての人間の常識ということはないでしょう。

常識があるというのは大切なことではありますがとても曖昧なものです。

それが本当に常識かどうかは別の話です。

今回は当たり前を疑おう。常識が正しいわけじゃないというテーマで話したいと思います。

常識がなぜ作られるのか

常識というのは実際のところ単なる集団意識というか自分の思い込みでしかありません。

みんながそう言っているからそれが常識という風になってしまうのです。

いわゆる多数決のようなものです。

常識というのは一般的にこういうことが正解とされているのですが、実際その一般的というもの自体が存在しません。

そもそも一般人という存在自体がありませんから、一般的な意見だってないのです。

多数決といっても多数決を取ったわけではありませんから、本当に多数決かどうかも分からないのです。

常識というのは単なる思い込みでしかないのです。

常識という名の空想と思い込み

常識の中でも、「空気を読め」ということも常識とされていますが、それも日本ではそうなのかもしれませんが、海外へ行ったら全然違う常識というものはあります。

日本では常識でも海外では常識でないことなんてたくさんあります。

なので実際に「常識」というものは存在しません。

常識というのは育った場所や過ごした環境によって全然違うものに変わってくるのです。

常識というのはなんとなくみんなが感じているものであって、実際にしっかりとした常識の定義みたいなものはないです。

常識の押し付けというのは自分の固定観念を押し付けているようなものです。

そして自分が常識人だと思っている人はたくさんいるはずです。

「自分の考えは合っている」

「自分は常識をわきまえている」

と思っている人ほど固定観念が強い人ということにもなります。

そういう人は自分が常識だと思っているので、人に常識を押し付けようとします。

本当に常識かどうかは分からないのに自分は間違っていないという意識があるので押し付けてきます。

そうやって自分の価値観を押し付けること自体がすでに常識ではないでしょう。

常識というのはそもそも存在定義もありませんしとても曖昧なものなのです。

常識を押し付けるから争いが起こる

自分の考えが合っていると思っている人は頑固で考え方が偏っています。

そういう人ほど争いというものが起こりやすいものです。

「自分が正しい」と思っていれば、それを相手に強要してしまうので、相手がそれに賛同しなければ争いになってしまいます。

「自分が正しい」ということは、「自分が正義」と思っているのです。

自分が正義=相手は悪

という定義に自然となってしまうのです。

そうなってしまうと正論を振りかざす頑固者が完成されていくわけなのです。

そうなってしまうとどっちが正義でどっちが悪かもわからなくなってしまいます。

正論を話していたはずなのに押し付けてしまったばかりに悪になってしまうこともあるのです。

ですから自分の考えは常識という固定観念を崩して、

「相手には相手の価値観がある」という広い視点と相手を受け入れるようになることが必要になってきます。

生きていれば価値観の合わない人が必ず出てきます。

そんな時に毎回争っていたら世の中敵だらけになってしまいます。

そもそも「常識」というのはその人その人で違うのですから、

「相手の意見を取り入れる」

「人それぞれ考え方が違う」

という心を持っていることが大切です。

「常識なんてものはみんなが抱いている空想」なのです。

そんな常識なんかに縛られて生きるよりも、

「自分がどういう風になりたいか」

「自分が何をしていきたいのか」

ということを優先していったほうが今の自分より良い人生になるはずです。

あとがき

常識を気にする人ほど自分の考えが正しいと思ってしまうものです。

常に常識のことを気にして生きているわけですから、常識には詳しいというか常識を基準に生きていくことになるわけですから、自分の常識だと思うことは正しいことだと思いがちなのです。

そして常識を気にしている人ほど「常識」を相手に押し付けようとする人が多いでしょう。

しかし実際に常識というのは存在しませんし、あるとしてもただの空想上の多数決でしかないのです。

常識なんて立場や状況によっても簡単に変化してしまうものですから、はっきりいって何の意味もありません。

どんなに常識を振りかざしてくる人でも、その人よりも立場が上の人が現れたときにはその場で常識というものはその上の立場の人の考えがその場の常識になります。

常識というのはそれだけとても曖昧なものなのです。

もちろん常識というのはとても大切なことですし非常識よりかはしっかりと場をわきまえるほうが良いでしょう。

しかし常識を押し付けることは正しいことだとは言えません。

みんなそれぞれ自分の考えがありそれぞれの常識を持っているのです。

常識にとらわれるのではなくそれぞれの意見を尊重し合うことが大切なのです。

常識にとらわれて生きるくらいなら、自分の好きなように自分が幸せになるためにはどうやって生きていけば良いのかを気にした方がずっと有意義な人生が送れるのはないでしょうか。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 人生哲学

    感情的だからこそ人間らしくて美しい。人間に生まれたのだから人間らしくていい

    感情を優先して行動することは悪いことなのだろうか。やってはい…

  2. 人生哲学

    自分の力で変えられる問題と変えられない問題があることを知ることで多くの悩みは消える

    この世には自分の力で変えられる問題と変えられない問題があります。…

  3. 人生哲学

    天才と凡人の違い。才能があるか才能がないかは結果論でしかない。

    「あの人には才能がある」「あの人は頑張っているけど才能がないか…

  4. 人生哲学

    自分が本当に求めている生活を見極めてその道を進んでいくことで人生は充実したものになる。

    みんなと同じことをしていてはみんなと同じ結果にしかならない。み…

  5. 人生哲学

    新しいことに挑戦するのは誰でも勇気が必要なもの。挑戦した先に新しい自分が待っている

    自分の中で嫌だなと思うことだけど、やらなければいけないと思うことはある…

  6. 人生哲学

    全てのものに価値もないし意味もない。価値も意味も全ては自分が自由に作っていくもの

    すべての物事やものに意味はありません。意味は自分で作っていくも…

こんな記事もどうぞ

PAGE TOP