神様とはどんな存在であり本当に存在するものだろうか。森羅万象全てのものは神様で出来ている


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「神様って本当に存在するのか」

「天国や地獄はあるのだろうか」

「幽霊は存在するのだろうか」

「宇宙はどこまで広がっているのだろうか」

そんな風に答えのない答えを追い求めて考えてしまうことは生きていれば一度はあるのではないでしょうか。

そしてそれは人間の永遠のテーマでもあるのではないでしょうか。

その中でも神様が本当に存在するのかということはかなり気になる事でもあるでしょう。

その答えというのは、宗教によってかなり異なりますし、絶対的な神様がいるという宗教もありますし、絶対神は存在しないという宗教もあるでしょう。

私自身は何か宗教に所属しているわけではないので、宗教に関する偏見やどの宗教が正しいとか間違っているとかそういうことを言いたい訳ではありません。

単純に私の意見としての神様論についてお話ししたいと思います。

目次

神様はこの世界にいるのだろうか

神様が存在しているのか、それとも存在していないのか。

その答えは、存在しているけれど一般的に思われている絶対的な神様は存在していないというのが私の意見です。

それはどういう事かというと、

一般的に神様のイメージというのは、

人間の形をしていて絶対的な神様がいて、その神様にも意思があり、地獄に行く人と天国に行ける人を選んだり、天罰与えたり神の恵みを与えたりと色んなことをしているというイメージを持っているでしょう。

神様に好かれているのか嫌われているのか気になったりそれに天国と地獄ではどっちにいけるのか気になったりします。

ですが神様というのはそういう存在ではありません。

神様は天罰も与える訳でもないですし神様の恵を与えてくれる存在でもありません。

そして天国と地獄に人を選んだりもしませんし、そもそも天国も地獄も存在しないでしょう。

意思を持っている神様はいませんし、それどころか天国も地獄もないなら何をやってもいいと思ってしまう人もいるでしょう。

しかし神様に意思はなく天罰も与えないから何をやっても良いという事ではないのです。

行動による結果というのはごく自然にそしてみんなが平等に起こっている事なのです。

天国もなければ地獄もない。そして神様が天罰を与えることもない。

実際のところ、どんな事をしたとしても死後に天国に行くこともないですし地獄に行くこともありません。

そして神様は神様の意思で天罰を与えることもないでしょう。

とても残酷で夢のない話だと思うかもしれませんがそれが現実です。

しかし死後に何かが起きることはありませんが、現実世界では警察に捕まったり死刑になることだってあります。

そして悪い事ばかりしていると、人からの信用も無くなって自分自身がとても生きづらい人生を送ることになってしまうことはあるでしょう。

そんなことになったとしても地獄にはいきません。

悪い事をすれば現実世界で起きる現象がありますのでその後に地獄に行くことはないでしょう。

そもそも地獄は存在しないからいくことはありません。

しかし地獄のように感じることはあるでしょう。

そして地獄に行かないから悪い事をしても良い訳でもなく、地獄と同じくらいに辛いことが起きることはあるでしょう。

地獄はなくても地獄のような体験はする

地獄が存在しなくても地獄と同じくらいに辛いことはあるでしょう。

例えば、階段から落ちそうになった時とかボールが顔に当たりそうになった時とか、とてもスローに感じることがあります。

一瞬止まって見えることは誰でも感じたことがあるはずです。

実際の時間は当然変わらないのに、自分自身の感覚ではとても長く感じることがあるでしょう。

他にも勉強をしている時間はとても長く感じますし、嫌なことをしている時間とは長く感じるように人はなっています。

それと同じように死ぬ瞬間というのはそれと同じようにとても長く感じるはずです。

死ぬ瞬間に走馬灯が流れて今まで感じていた出来事を振り返ると言われるくらいに、現実世界では一瞬だとしても自分自身の感覚では永遠に感じることだってあるのです。

それが地獄や天国の正体です。

どういうことかというと、その走馬灯の時間の中で自分のやってきたことが悪い事ばかりだとしたらその走馬灯の時間はとても長く、地獄に感じるかもしれませんし、逆に自分の中で良い行いをしてきたのだとしたら天国にのようにとても心地良い時間に感じるかもしれません

それを天国や地獄と感じている人はいるでしょう。

そうだとしてもみんなが言っているような天国も地獄も存在はしていないでしょう。

自分自身が天国があると思えばありますし、逆にないと思えばないでしょう。

天国が全く存在していないかと言うとそうではなく、その走馬灯のような感覚が地獄だと言えば地獄でしょう。

それは人それぞれの意見です。

そして自分の人生は自分にしか分かりませんし、自分自身が主人公な訳ですから自分がそう感じていればそれは存在するものになってしまうのです。

天国も地獄も神様も自分自身がいるかいないのかを自分で決めている

自分が感じていればそれは存在するものだと言われても、そんなはずはないし本当に現実に存在するのかを知りたいと思う人もいるでしょう。

しかし本当に現実がどうこうというのはあまり関係がなく、それよりも自分がどう思っているのかという方が現実になってしまうことがあるのです。

例えば、

妄想だったり幻覚だったりは他人からしてみれば妄想や幻覚だけれど、その本人からしてみれば幻覚ではなく完全に存在しているものに感じているでしょう。

お酒に酔っている人はそれだけ現実とは関係なく全く違う感覚を味わっているはずです。

それだけ現実と感覚は違うことだってあるのです。

他にも、自分がみんなから嫌われていると自分自身が思っていれば現実では嫌われていなくても自分の思い込みによってそういう現実になってしまっているのです。

自分がそう思ってれば現実なんて関係ないのです。

どんな勘違いだとしてもその人の中ではそれが現実になってしまうのです。

なので人間というのは現実よりも思い込みの方が重要というか、優先的になってしまう生き物なのです。

人それぞれみんなが同じ世界に生きているようで違う世界に生きている

この世界ではいろんな物が現実に存在するものがあるので、ある程度共通的に認識している現実は存在しているのだけれど、それをどう捉えていくのかというのはその人次第です。

簡単に言うと、同じものを見ていても同じように見ているかは全く別の話なのです。

視点が違ったり考え方、そして捉え方も人それぞれで意見も全く違います。

同じものを見ても全然違う訳ですからそれは同じものを見ていたとしても。もう既に違うものを見ていると言っても過言ではないでしょう。

それくらい人によって見えている世界が違うということです。

自分の人生というのは自分自身にしか分かりませんし、自分自身が自分の人生の主人公であって、自分からしてみたら周りの人は全て脇役です。

人それぞれがみんな自分の人生の主人公なのです。

主人公なのですから他人がどうこうよりも、自分がどう思うのか、そしてどう感じるのかということの方が大切なのです。

みんな同じ共通の世界に生きているにも関わらず、みんなが違う世界、または少しズレているような世界に生きているのです。

それは人それぞれが「パラレルワールド」の中で生きていると言っても良いのではないでしょうか。

同じ世界に生きているように見えて全く違う現実をみんなそれぞれ生きているのです。

それをみんな一人一人が理解する必要があるのです。

自分の世界は自分が作り上げていくもの

自分の人生では、自分がメインキャラクターで自分でストーリーを作ってくものなのです。

自分の人生はサブキャラクターではなくて主人公なのです。

ですから自分が神様がいると思えばいるし、いないと思えばいないということになるのです。

ある程度共通認識をしているものはあるけれど、それをどうとらえるのかは人それぞれですし、そのとらえ方によって世界はあらゆる形に変化していくと言うことです。

その人の感覚の中で存在していればその人の世界には既に存在しているということになるのです。

それは仮にこの世、共通世界に存在しなかったとしてもその人にとっては感じているものが正しい訳ですからそうなのです。

それだけ自分の感覚や感じ方が重要だと言う事なのです。

人の痛みなんて分かりません。

なぜなら痛みは目に見えませんしその人が感じているものであって、自分には感じないからです。

かゆみだってそうです。

その人が痒ければ痒いですし、どんなに痒がっていてもその人が以外には絶対にかゆみは伝わらないでしょう。

なのでその人の感じ方がとても重要ですしその感覚が自分の人生、そして自分の世界を作り上げていくのです。

この世界そのものが神様という存在

絶対的で意思を持っている神様は存在しないと言いましたが、絶対的ではない神様はいます。

「神様」という定義自体が王様みたいな絶対的で誰も逆らえない存在というイメージになっていますが、実際の神様はどんな存在なのかというとこの世界そのものが神様なのです。

もし仮に宇宙全体を作ったのが神様だとしたら、その宇宙の中に存在している地球という存在はその神様の作った宇宙の一部になります。

そしてその中にある日本という存在はその地球の一部になるでしょう。

宇宙を作った神様の上にも神様を作った神様がいて、その神様を作った神様がいるかもしれません。

それと同じように、みんなが思っている神様というのはこの世界そのものであり森羅万象全てのものが神様の一部ということになるのです。

神様が作ったものの一部であり、その神様もその上の神様が作っているかも知れないので、全てが神様の一部なのです。

全てが神様の一部であり、それなら全てが神様と言っても良いのではないでしょうか。

神様なんてそもそも存在していなくて、この世界そのものが神様で、神の恵みだと思っていたものは、この世の摂理が起こした人間にとって良いことです。

そして私たちが天罰だと思っていたものはこの世の摂理が起こした人間にとって、もっと言えば自分にとって悪いことだということです。

結果的に、

神様というのはこの世界の起こる出来事の原因、自然の摂理そのものが神様ということになるのです。

神様の意思があるのではなく、上から下に物が落ちていくように、この世界の摂理が全てを決定しているだけのことなのです。

ただそう言った現象が起きているだけであって、その現象が良いことなのか悪いことなのかを決めているのは人間であって、自分自身でしかないのです。

神様(自然の摂理)は神様の意思で動いているのではなく、単純にその現象が起きているだけなのです。

自然の法則そのものが神様という存在であり、平等に物事を起こしている存在なのです。

神様がいると思っていても、神様がいないと思っていたとしても、現実的に何か変わるかというと何も変わりません。

神様がいないからと言っても、この世の摂理があるのだから悪いことをすれば悪いことが起きやすいのは事実です。

神様がいないのなら良い事をしても良いことが起きないかと言うとそんなことはなく、それだけ人に奉仕しているのなら人に恵まれた人生を送ることが出来るでしょう。

なので神様がいると思ってもいないと思ってもそれはどちらでも良いのです。

神様がいようといなかろうと今まで通り自分の思うように生きていけば良いのです。

どちらにしてもこの世の自然の法則がやったことをそのまま結果として現実に表してくれることには間違いありません。

自分自身が自分の人生の主人公なのですから、自分が思うように生きれば良いのです。

神様は完璧な存在でも絶対的な存在でもない

神様というのはなんでも知っている完璧な存在というイメージがありますがそんなことはありません。

神様は完璧で完全な存在ではないのです。

なぜそんなことが言えるのかというと、

この世には、確率や偶然に起きることというのはあります。

サイコロを投げて出る目ははじめから決められているわけではないのです。

その出る目は確率であり不確定要素なのです。

この世には神様も知ることのないような偶然というものが存在するのです。

もちろんその偶然というものは、

宇宙の法則の中で起きることですから全くの偶然というものではありません。

サイコロの振り方によって出る目は決まりますし、

100%偶然というものではありませんが100%決められているわけではないのです。

東京タワーの一番上から紙を一枚落としたとします。

その落下地点というのは毎回全く同じところに落ちるわけではないでしょう。

それだけこの世界には確実に決められていないものという偶然が存在しているのです。

その偶然がある限りは、

神様(宇宙の法則)というのは絶対的なものではないのです。

単なる偶然というものも少なからず存在するのです。

神様という存在は絶対的な完璧な存在というわけではありません。

ですが神様に意思があってその意思がコロコロ変わることもないのです。

宇宙の法則に従ってこの世が決定されているのです。

そしてこの世には不確定要素というものが存在します。

偶然というものがあるのです。

ずっと良い行いをしているはずなのに悪いことが続く。

悪いことをしている人が幸せに暮らしている。

そんな風に理不尽さを感じてしまうことはあるかもしれません。

しかしそれは宇宙の法則の中での話なので、人の決めたルールの通りにはならないのです。

良い行いをすれば良い行いとして返ってくるかと言われるとそんなことはありません。

良い行いというものの定義自体が曖昧なものですし、

人に優しくしたから人に優しくしてもらえるというものではないのです。

自分がどんなに人に優しくしたとしても、

その優しさが相手にとって有難迷惑であったとしたらその優しさは相手には伝わらないでしょう。

結果的に自分に優しくされるという結果になることはないのです。

自分の気持ちだけでこの世界が決まるわけではないのです。

その時その場の状況やいろんな要素によって全てが決定されていくのです。

突然交通事故に遭うことだってあるかもしれません。

それはどんなに気をつけていたとしても起こるときには起こってしまうのです。

それは偶然によるものかもしれません。

しかしだからと言って、

みんなが平等に起こるかと言われるとそんなことはありません。

普段から荒い運転をしている人は交通事故を起こしやすいですし、普段から夜更かしをしている人は集中力が散漫になり悪い結果になりやすくなることはあります。

全ての行動と結果がイコールで起こるものではありません。

しかし全ての行動は結果として現れているのです。

努力をした人が全て報われるというものではありません。

しかし努力をした人というのは、

努力をしたという結果は得られます。

そして努力をしない人よりかは良い結果を生みやすくはなります。

しかし結果は努力だけで決まるわけではないので分からないのです。

ですから全ての行動が同じような結果になるわけではないのです。

神様(宇宙の法則)はとても不完全であり不条理であるように見えますが、常に働き続けています。

ずっと自分たちを見守っていてくれているのです。

神様はいつも自分たちの周りにい続けている存在なのです。

なぜ神様が生まれたのか

自分の思うように生きた方が良いと言っても、絶対に神様がいないと言い切ることは出来ないでしょう。

存在する証明も出来なければ存在しない証明も出来ないのです。

しかしそれで良いのです。

神様というのは実際には、人間が作った存在です。

神様がいるかいないは人それぞれなのだとしたら、なぜ人間は神様を作ったのでしょうか。

もともと神様という考え方はなかったでしょう。

しかし人間は神様という目に見えないような存在を作りました。

なぜ神様という存在を作ったかというと、人間には知識がありますし、生まれつき信仰心というものがあります。

そして良心というものを必ず持っているのです。

人間は良心という感情を持っているので、

「良い行いをしている人は救われる」

「悪い人には悪いことが起きる」というような考えを自然と持っているのです。

その結果、神様という存在を作り出したのです。

それはとても良いことだと言えます。

もし神様という存在が全くもって否定されるのだとしたら、

何をやってもバチ(天罰)が下ることはないということになってしまうので、今以上に犯罪や悪いことをする人が増えてしまうでしょう。

無法地帯になってしまう可能性だってあるのです。

それでは世界が破滅してしまうでしょう。

どこかで悪いことをすれば悪いことが起きるという心を人は持っているから神様という存在を作り、そしてその神様を信じているのです。

神様がいると思った方がより良く生きられる

神様がいると思って生きる人生と神様がいないと思って生きる人生ではどちらの人生を送っても問題はありません。

この世は宇宙の法則、自然の摂理というものがありますから、何をしたかで何が起きるのかがある程度決まっているからです。

神様を信じても信じなくても良いことが起きたり悪いことが起きるということはありません。

ですが私の意見としては、絶対に神様がいると思って生きた方がより良く生きることが出来ます。

私の中では神様(宇宙の法則)は存在しています。

なので悪いことをすれば悪いことが起きることは知っています。

そして常に神様は自分自身のことを見守ってくれていますし、常に正しい道へと導いてくれています。

悪いことをするということはそれだけ罪悪感を感じてしまいます。

逆に良いことをすれば気持ちよく生きることが出来ます。

なので自分が気持ちよく生きる為にも、より良い生き方をする為にも神様は常に見ているという気持ちでいた方が良いのです。

現に宇宙の法則、自然の摂理は常に働いている訳ですから、それを神様だと思えば神様は存在していることになりますし、常に私たちを見守ってくれています。

そう思って生きた方が正しく生きることが出来るので、人間として正しく生きるには神様という存在は信じるべきなのです。

神様に嘘をつくことは出来ない

神様には嘘をつくことが出来ません。

なぜなら、よくお天道様や神様は常に自分たちを見ているという言葉を昔の人は使うでしょう。

それは私たちは常に宇宙の法則(神様)の中で生きているのですから常に神様は自分たちを見ているのです。

そして自分自身も神様の一部です。

そうなると自分の心も神様の一部ですからそうなると自分に嘘をつくことが出来ないのなら神様に嘘をつくことが出来ないということになるのです。

どうしても悪いことをすれば罪悪感が生まれます。

そうなるとその罪悪感を消すことは出来ませんから、自分の心に嘘をつくことが出来ないということです。

嘘をついた時点で罪悪感という罪を背負っている訳ですから、悪いことは起きているのです。

人間は自分の心から逃れることは出来ません。

なので神様には嘘をつけないということになるのです。

あとがき

神様がいるかいないかというのはとても難しい問題です。

みんなそれぞれ自分の世界があって、それぞれ価値観や考え方があって、それは自分自身にしか分からないものですから、その人次第で神様がいるかいないかは変わってきてしまいます。

「自分は幽霊を見た」

「神様と会ったことがある」

そういう風に言っている人もいれば、「そんなものは存在しない」と思っている人もいるのは当然と言えば当然のことです。

それはその人の世界では見たことがあるのだから存在するものですし、見たことがなければ存在しないものになるのはごく当たり前のことです。

それはその人の感じ方次第で現実というのは大きく変化してしまうということになるのです。

しかし神様がいるかいないかはその人次第になってしまいますが、絶対的で神様に意思があり、天罰を下すような神様は存在しないでしょう。

もし仮に意思を持っている神様がいたとしても、ただ単に天罰を下すような神様はいないでしょう。

もし神様が存在したのだとしたら人間や動物、植物は全て神様の子供にあたる存在です。

そんな自分の作った子供に悪意を持って危害を加えたりはしないでしょう。

「全てはこの世の摂理そのものが現実を決定しているもの」です。

神様が全てを決めているのだとしたら、私たちは生まれてきたにも関わらず、全く何も自分の意思で決められないことになってしまいます。

全ては神様の意思で決まるだけの存在、ただの機械という存在になってしまいます。

そんな不自由で不完全な世界では何も存在していないのと同じになってしまいます。

そんなものをあえて神様は作らないでしょう。

全てが自由でいろんな意思があって良いのです。

確かにこの世は一見とても不完全で不自由な世界に見えますが、実はこの不完全だと思えるような世界が一番自由で一番完全で完璧な世界なのかもしれないのです。

みんなが自分の意思で自由に決定出来る世界です。

ある程度ルールがあり、そのルールは完全には知られていないもの。

そんな世界を作って自由に生きる世界はとても美しいものだと私は思います。

私は本当思います。

神様は信じて生きた方が人間としては絶対に良い人生を送ることが出来ます。

個人的にはたくさんの人に神様を信じて生きていってほしいと願っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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