悟り

悟りについて書いているが仏教信者ではなく、ブッダの考え方が合理的だからこそ納得している

私は仏教を学問として勉強してきました。

そして納得出来る部分もありましたし、納得出来ない部分もありました。

色々試行錯誤をして自分の出した結論は、

仏教ではなくブッダの教えに共感したと言うことです。

仏教とブッダの教えというのは全く違うものがとても多いです。

よく、

「南無妙法蓮華経と唱えたら救われる」

「南無阿弥陀仏」と唱えなさい。

というような教えがあるのだけどどうしてもそれは納得出来ません。

ですがそれはブッダの教えではないことを知りました。

ブッダの考え方というのはもっと合理的で現実的です。

欲があるからこそ苦痛がある。

だからこそ欲に振り回されることのない心を持つ。

そしてその欲をなくすことに囚われてしまったら欲をなくす事は出来ない。

因果応報。

物事には原因と結果、そしてその間に「縁」があるというような、とても合理的で現実的な考え方をしています。

それだけ聞いてもなんのこっちゃ分かりませんが、

簡単に言えば、

「何かをすれば何かが起こり、その間には偶然というものもある」

という事です。

超常現象や特殊能力のようなものはないのです。

南無阿弥陀仏を唱えれば救われるというような非合理的というか、根拠のないものではないのです。

とは言え、私自身もオーラが見えると言っているように非合理的というか超常現象のようなことを言っているので人のことは言えません。

納得してもらえる人が納得してくれれば良いでしょう。

しかしブログには書いていますが、

オーラはエネルギーで出来ていて、それは電気エネルギーと同じだというお話をしました。

炎だって温度によって色が変わるように、オーラもエネルギーの質によって見え方も変わるでしょう。

電気も物体は無いのに見えるはずです。

という風に自分を合理化していますが、実際は自分がなぜオーラが見えているのかは分かりません。

生まれつき見えていて、今現在も同じように見えています。

それが思い込みによるものかもしれませんし、脳が作り出した幻想なのかも分かりません。

だとしても、その思い込みが人の役に立っているのであればそれはそれで良いと思っています。

もちろんオーラが見えることによって人を不幸にしてしまっているのだとしたら、正しいとは思いませんしそれは本当の思い込みになってしまいます。

だからこそ理由は分かりませんが、自分が見えている感覚があるのだから自分の人生においては「オーラが存在している」ということにしています。

他の人の人生の中では、「オーラは存在しない」かもしれませんが、それは自分の人生は自分が主人公だからこそ違った世界に生きていても良いと考えています。

話が逸れましたが、

ブッダの考えというのは合理的で現実的です。

宝くじは買わなければ当たらないというように、

何かしらのアクション(行動)を起こさなければ、それなりの結果は得られないという事です。

それが原因と結果です。

日々筋トレをするからこそ筋肉が付きます。

「筋肉付かないかな〜」と願いながら毎日寝ていたら筋肉は付かないのです。

そこでよく間違えてしまうのは、

「努力をしなければ欲しい結果は出ない」と考えてしまうところです。

筋トレを毎日努力しなければ筋肉は付かないと考えてしまうでしょうが、そんな事はありません。

努力=我慢

と考えるのは間違っています。

趣味で筋トレをしている人は筋トレを努力と感じずに日々の生活を過ごします。

そういう人は、筋トレをしているかもしれませんが、努力(我慢)はしていません。

他にも、仕事の内容が力仕事で仕事をしながら自然と筋トレをしている人も、努力をしなくても筋肉は付きます。

なので努力(我慢)をしなければ結果が出ないと考えるのはもったいないのです。

「でも結局筋トレをしなければ筋肉は付かないではないか。それは結局努力じゃないか」

そう感じてしまうでしょう。

確かにその通りです。

それなりにやるべき事をやらなければ結果はついてこないでしょう。

しかし、やりようはいくらでもあります。

栄養の勉強をして、効率の良い筋トレ方法を見つけたり、睡眠の質を考えて筋トレのタイミングを考えてやれば、少ない努力や行動で大きな成果を出す事は可能です。

闇雲に努力する人に比べれば大きな成果の違いが生まれるでしょう。

だからこそ、ただ努力(我慢)をすれば良いというものではありません。

それも含めたものが因果の法則です。

そこに因果とは別に「縁」というものが含まれます。

この話で言えば、才能でもあるでしょう。

男性ホルモンが多く、筋肉のつきやすい体質の人もいます。

年齢によっても大きな差があるでしょう。

ただやったことがそのまま成果として生まれるわけではありません。

それが「縁」というものなのです。

私たちからすれば残酷に聞こえてしまうものです。

「結局は才能じゃないか」

「最後は運かよ」

と言いたくなるものです。

しかしそれが現実です。

この世には原因と結果だけではなく、運や流れというものもあります。

それを含めた上で現実が決まってくるのです。

そう言った考え方全てが、ブッダの考え方には詰まっています。

私はそれを自分なりに噛み砕いて自分の考えとして結論を出しました。

なので悟りの記事が多いのは、たくさんのことを知ることで自分の納得する人生に出来るチャンスが生まれるからです。

だからこそ悟り、深い気付き、自分を知ることに重きを置いているのです。

私は仏教の教えを広める為の仏教信者ではありません。

自分なりに試行錯誤をして、自分なりの答えを出した「自分教」です。

ある意味では自分教信者ではあるかもしれません。

私はスピリチュアルな部分と合理的な部分がミックスされた自分なりの考え方を持っています。

私はそんな自分の考え方をこれからも発信していきたいと思いますし、その考え方をもっと煮詰めていくことが生きる意味だと感じています。

これからも悟りについての記事は書いていきますのでぜひ読んでいってください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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