人生哲学

一番救われたいのは自分自身なのかも知れないな。

人に教えたり、その人の為にたくさんの言葉をかけてきた。

その結果、

自分は救われたのだろうか。

別に見返りを求めて何かを伝えてきた訳じゃないと思っていたとしても、見返りを求めている自分がいる。

そこまで考えていないとしても、少しは期待している自分がいる。

自分も救われる日が来るのではないかと期待している自分がいる。

しかしその日は今の所訪れた訳じゃない。

そんなことは知っていたことだから別に良い。

それに「ありがとう」という言葉を言われている時点でお返しはされているだろう。

それ以上私が求めるのは、求め過ぎているという気持ちもある。

しかし、なぜペテン師扱いまでされるのだろうか。

嘘つきだと言われなければいけないのだろうか。

私は悪いことをしたのだろうか。

それが世の常だとは思う。

私が全く悪意がないとしても相手が悪意を感じたのならそれは悪意があると判断されるのは仕方のないこと。

私が完全なる正義ではないし、結果的に間違ったことも言っているのだから仕方ない。

それほど何かを成すというのは難しいことだと痛感した。

それでもいつか私の意思が伝わることを願って、これからも自分のやるべきことを続けていこうと思う。

「人の為に」

「他人を救う」

それは全てエゴである。

自分が救われたいだけ。

そして人を救えないことも理解している。

じゃあそんなことをする必要がないと思うだろう。

自分だけ幸せならそれで良いのではないか。

そう思う自分もいる。

だけど、

それでも、

自分にとってやりたいことだから仕方ない。

そうしなければ自分も救われないのだから仕方ないんだ。

頭で分かっているからやらないでいいなんて、頭で理解していれば全て納得出来るのなら誰も悩んだりはしないだろう。

この先の未来がどうなるか分からないけれど、

私は私の言いたいことを言おうと思う。

言いたくないことを言って後悔するよりも、

言いたいことを言って後悔した方が良いから。

どんなに人に向けて何か言葉をかけたとしても、その人を本当に救える訳じゃない。

自分を救えるのは自分しかいない。

人を救うきっかけにはなれるかもしれない。

だけど本当の意味の意味で救うことは出来ないだろう。

そんな自分に常に葛藤している。

そんなことは出来ない。

本当の意味で人を救うことなんて出来ないと分かっているのに、

自分の心のどこかで出来るのではないかと求めている。

そんな葛藤を持ちながらこれからも私は幸せについて追求していくだろう。

完璧な幸せなんてないと分かっていながら、

完璧な幸せを求め続けるだろう。

それが私の人生だから。

私はそうやって一生救われないかも知れないけれど、

それでも求め続けるだろう。

人を救いたいなんて言っているけど、一番救われたいと思っているのは自分自身なのかも知れないな。

自分が正しいとは思わないと言っているけれど、

自分が一番正しいと思いたいのは自分なのかも知れないな。

それを証明したいから、

言いたいことを言っているのかも知れないな。

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