哲学とは答えのないものに対して答えを求めようとする学問


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どんなに哲学について考えたとしても、生き方について答えを出そうと思っても人生をに答えは出ないだろう。

人生というのは全てのバランスがピッタリ合致したときに一番良い状態でいることが出来る。

病気もなく人間関係で悩むことなく、お金もある状態。

いわゆる悩みがない状態というのは一番良い状態だ。

だがそんな状態は長くは続かないだろう。

それはどうしてか。

人も環境も時代も時の流れとともに変化していくからだ。

そしてどんなにバランスを求めたとしてもその答えは変わらないものではなく、すぐに変わってしまうだろう。

それはなぜか。

自分の人生の答えは自分の心が答えを導き出すからだ。

どんなに他人から良い人生だと言われていても自分自身が悩み苦しんでいたらそれは哲学で言うところの答えにはならないだろう。

どれだけ幸せに生きられるかが哲学の答えだろう。

どんどん悩み苦しむことが哲学の答えだと仮説を出したらそれは誰でも苦しむことは可能だろう。

だが幸せになる事はかなり難しい。

苦しむことよりも何倍も難しいだろう。

哲学とはその幸せを手に入れるためにどんな考え方とどんな行動をしていけば幸せになれるのかを導き出すための学問である。

そしてその学問に終わりはない。

なぜなら時代によって答えが変化するからだ。

時代が変化すればそれに応じて正しい答えも変化していく。

お金がないことで今現在悩んでいたとしても、仮にベーシックインカムが導入されて全くお金に困らなくなる世の中になったとしたら、また哲学の定義は変わってしまうだろう。

もっと言えばこの世に自分一人しかいなかったとしたら哲学の答えは大きく変わってしまうだろう。

それくらいに哲学というのは時代や環境によって変化するものだ。

だから全く変化しない完璧な答えというものはそもそも存在しない。

時代に応じて常に自分自身の答えを変化させてアップデートさせていく。

そうやって自分が進化していくことが必ず必要になってくる。

だから絶対的に正しい答えは出ないんだ。

それが哲学の正体だ。

だからと言って絶対的な答えが出ないから、哲学を考える必要はないかと言われるとそんな事はない。

哲学を学んで生きるのと全く何も考えずに生きるのでは全然違った未来が待っているだろう。

哲学は自分の人生に芯を持って生きることが出来るようになる。

だから人の話や環境の変化に振り回されることが少なくなるだろう。

人はほとんど人間関係によって悩みが生まれる。

一人になって友達がいないと孤独で悩んでしまう人もいるだろう。

だが哲学を勉強していればそんな人間関係での悩みも軽減される。

一人でいること自体が悪いことではないと考えらえるかもしれない。

それは自分がどんな哲学を勉強するかにもよるが、哲学を学ぶことによって自分の生き方を貫くことが出来るようになる。

それは大きな違いだ。

環境に対して一喜一憂していたらいつまで経っても環境に振り回され続ける人生になってしまうだろう。

それはあまりにも苦しい。

だから哲学を学ぶ意味がないかというとそんな事はないだろう。

私は思う。

哲学は学び続けて常に正解を求め続けることこそ哲学の真髄なのだと。

哲学を学び続けることこそ哲学だと思っている。

人はどうしても答えを求めたがるだろう。

だが実際にはどんなに探しても絶対的な答えなんてないだろう。

人間関係で悩むからといって人間関係を全て排除すれば幸せになるかというとそんな事はない。

お金に悩むから全てを自給自足にして生きていけば幸せになれるかと言われたらそんなこともないだろう。

何事もバランスだ。

排除するだけでも求めるだけでも悩みそして苦しむ。

良いバランスを探し常に哲学をアップデートしていくことこそが哲学なのだ。

人生の答えを探し続けている状態こそ一番良い状態なのだ。

答えが出たからといって学びをやめたら一瞬にして時代においていかれて自分が悩む日々が始まってしまうだろう。

だからこそ人は死ぬまで学び続ける必要がある。

そうやって人生の答えを探し、幸せを求め続けることこそ哲学そのものなのだと私は思う。

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